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落ち着かないな……。
傍らで酒を飲んでいる鬼丸を見ていたら、そう思わずにいられない。話しかけると妙によそよそしく返してくるし、あまりこちらと目を合わそうともしない。おまけに酒の進みがやたら速い。今飲んでいるのは、安酒なんかではなく、町中の酒蔵で手に入れた限定物の大吟醸だ。いつもはちびちび飲めとか、けちくさいことをいうくせに何なんだ。鬼丸が空になった盃に酒を注ごうとしたので、慌てて止めた。全部飲まれてしまうという惜しさよりも、鬼丸の身体のほうが心配になったからだ。彼を見る限り、かなり酔いが回っている。白い頬が頬紅でもつけたかのように色づいているのが、その表れだ。呼気もはっきりと分かるぐらい酒臭い。
「……やめとけ。潰れるぞ」
「かまわん」
少し掠れた声に、舌足らずな口調。呂律が完璧に回らなくなる一歩手前だ。へべれけめ、と呆れ混じりに呟いて、鬼丸の手から酒瓶と盃を取り上げた。
「かえせ……」
取り返そうと鬼丸は腕を伸ばすが、酒で既に制御不能になっているらしい掌は、虚しく空を泳いだだけだった。
「駄目だ。今日はこれ以上飲まない方がいい」
「けちくさいやつめ」
「……あんたにけちと言われるとはな」
「けちだ、けち」
「……やけに絡むな。というか、今日のあんた、おかしいぞ」
「……誰のせいだと思っているんだ」
「どういうことだ」
そう尋ねると、鬼丸は少しムッとした顔をして、大典太が肩にかけている羽織の裾を無言で引っ張った。
「……これ」
「……? ただの羽織だが」
「そうじゃない。お前の服装が……」
鬼丸のその言葉で合点がいった。そういうことか。
「……どうせ俺には似合わんさ」
せっかく、主に誂えてもらったものだからと、一日中を軽装で過ごしていたわけだが、どうやら鬼丸は、この出で立ちが好みではないらしい。鬼丸の態度がよそよそしい理由を察して、僅かに気分が落ち込んできた。周囲の反応がかなり良かった(特にソハヤと前田)から、浮足立っていたのかもしれない。
盃の底にほんの少し残っていた酒を飲み干し、盃を畳床に置いた。すると何やら念仏のような独り言が聞こえてくる。
「……誰も似合ってないなんて言ってない」
「……なんか言ったか?」
ボソボソと喋るものだから、思わず聞き返してしまう。
「……おれを殺す気か」
「は……?」
「くそっ……こんな、こんな……」
「お、おい……」
いきなり軽装の襟元を掴んできたかと思ったら、また鬼丸がぶつぶつと何か言い始めた。ひどい酔っぱらいだ。そもそも、何故怒っているのか。鬼丸の心がさっぱり分からない。
「……鬼丸。手を離してくれないか」
「こんなの……おれの知ってるお前じゃない」
「え……?」
「卑怯だ……」
襟元を掴んでいる手にぐいっと引き寄せられ、そのまま歯がぶつからんばかりの勢いで口付けられる。ふわりと広がった甘い酒の匂いに、一瞬目眩がした。自分も結構酔っているのかもしれないと、この時初めて思った。
「……今日一日気が気じゃなかった」
「……何故だ?」
「っ、まだ分からんのか」
「分からん」
「……格好よすぎて腹が立つ」
とろんとした瞳で見つめられて、言われたその台詞の破壊力といったら半端なかった。萎れかけてた心は一瞬で潤いを取り戻したが、少し動揺もしていた。「格好よすぎ」なんて言葉を鬼丸の口から聞けるとは思っていなかったから。酔いのせいもあるかもしれないが、こうもあけすけに褒められると嬉しくもあり、照れくさくもある。腹が立つと付け加えるあたり何とも鬼丸らしい。
「鬼丸……」
「だから、早く脱げ」
「何でそうなる」
「……おれが脱がしたいんだ」
「……ああ、そういうこと、か」
「……きょうは、なにをされてもいい」
お前の好きなようにしろ、と鬼丸の手が大典太の肩から羽織を落とした。
実質、めちゃくちゃにして宣言をされた大典太は、今夜は寝かせてもらえないだろうな、と腹を括るのだった。